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家計×投資について発信
カケマネ運営者
りりな

元浪費家で貯金を切り崩す生活を3年経験
そんな私が、結婚を機に
家計管理と投資を組み合わせた資産形成をし
結婚3年目で、2000万円の貯金に成功!

2000万円を貯金した
家計管理方法・投資方法・節約方法を公開しています♪

お金に対する悩みを抱えている方の
参考になれば幸いです。


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【2024年】家計管理×投資のおすすめクレカはコレ!

裏Episode|りりなの生い立ち

どうも~!

家計管理と投資で最強ママになりたい、

りりなです🌈



さらば節約だけの人生!

私とお金の共働きで生活が豊かになる。

家族・子どもとの時間も大切にして
心も豊かになる。



みんなで幸せな人生をつくっていきたい主婦、
りりなです。



ありがたいことにたくさんの方に

私の発信を見てもらえているのですが、



そもそも、りりなってどんな人物なのか?

自己紹介をちゃんとできていなかったので

改めて、りりなについて

お話させてもらいたいです☺️🩷

プロフィール

  • 家族:夫(会社員)、子ども1人(3歳男の子)
  • 年齢:34歳
  • 出身:埼玉県
  • 血液型:A型
  • 身長:165cm
  • 性格:豪傑の心配性
  • 職業:広告営業7年→現在は、主婦投資家としてSNS発信
  • 学歴:大学卒
  • 部活:中学→ソフトテニス部、高校→家庭科部
  • アルバイト:ミスド
  • 得意なこと:継続
  • 苦手なこと:新しい事へのチャレンジ
  • 資格や検定:投資診断士、資産運用検定2級、キッズマネー認定講師、方眼ノートトレーナー認定講師
  • :築40年の古アパート

好きなもの

  • 好きな食べ物:お寿司(特にえんがわ)、ラーメン、焼肉
  • 好きなお酒:ビール、ウーロンハイ
  • 好きな時間:ゆっくり本を読む時間
  • 好きな服:DOUDOU
  • 好きなアニメ:メイドインアビス、モンスター、本好きの下剋上、夏目友人帳、サイコパス、からくりサーカス、ギルティークラウン、虚構推理、パリピ孔明、オーバーロード、リゼロ、約束のネバーランド、ドクターストーン、無職転生、チェンソーマン、王様ランキング、マクロスフロンティア、喰霊ゼロ、刻刻、僕だけがいない街、ヨルムンガンド、甲鉄城のカバネリ・・・etc 
  • 好きな言葉:辿り来て未だ山麓、持ちつ持たれつ
  • 好きな音楽:椎名林檎、東京事変、aiko、相対性理論、the pillows、ももクロ。最近は、ラブトランジェットの主題歌のeillにドはまり中
  • ハマってたユーチューバー:加藤純一(うんこちゃん)(笑)
  • 趣味:最近、ダイエットにハマり中♡
  • 芸能人・映画は特になし。笑

りりなの生い立ち

私、いつも発信をする上で

「ありのまま」っていう言葉を結構使うんですよね。


もちろん今もありのままを出して

日々発信をしているんだけど

「りりなさんってまじめで、とっつきにくい感じの人」

って思われることが多くて…。



実際全くそんなことない!っていうのを

みなさんに知って欲しくて、

りりなの過去を幼少期から遡って

包み隠さず話していこうと思います。



多分これ読んだら…みんなびっくりすると思う(笑)



でも、今の私が持っているビジョン。

これは過去の私と、

フォロワーさんとの体験から構成されたもの。




だから、

私の過去をしっかりと話すべきだと思って

みんなに伝えたくてこの記事を書きました。




本気で書いたのでめっちゃ長くなりますが、

読んでもらえたら嬉しいです!!

りりなの幼少期~小学校まで

りりなは、1990年生まれの平成っ子です!

埼玉県の超ド田舎で誕生!

360度山に囲まれる緑豊かな土地で

生まれ育ちました!

幼少期までは、町営住宅で暮らしていました。

町営住宅に住んでいた理由は、

大人になった今両親と話していて

初めて知りました。



ちょうど私が生まれたタイミングで、

バブルが弾けてしまったのがきっかけ


だったそうです。



私の父親は、

日本の高度経済成長の時期に仕事を独立させて

自営業を営んでいたらしいんですね。


でも、バブルが崩壊してしまったタイミングで

今まで受注できていた仕事がなくなり

かなりお金に苦労した時期があったそうです…。



仕事がなくなった。

だけど、子ども(私)が生まれたばかりの状態。

なんとか仕事を探そうにも、


バブル崩壊で壊滅的な不況。。



こんな絶望的な状況でしたが

幸いにも前に働いていた会社の人に

声をかけてもらい、

古巣に戻って仕事をすることができ…。



なんとか、生活を立て直すことができたようです。

りりな

ちなみに父は定年退職した今も、その会社で働いています。当時の恩返しの意味もあるみたいですね。

そして正直私は、

両親がお金に苦労していたなんてこと

全く気づいていなくて。



最近両親と話していて、ふとした会話の中で

知ったこの事実に驚きました。

思い返すと、子どもの頃から

いろいろな習い事をやらせてもらっていて、

貧乏な家っていう自覚が私の中で

なかったんですよね。



きっと両親はお金に苦労していたけど、

それを子どもの私に悟らせないように

育ててくれていたんだなと…。



この事実を知った時、

「お金に苦労している中、なんで

いろんなことをやらせてくれたのか?」

っていうのを母親に聞いたんです。



そうしたら、母親自身が親からあれはやるな、

これやるなと、抑圧されて生きてたっていう

過去があって。



「りりなには私みたいに育ってほしくない。

やりたいことをやらせてあげたい。

って思ったからだよ」と言われました。

今になって両親から大きな愛に包まれて

育てられてきたんだな、と気づかされたし、

私も息子がやりたいって思ったことに

チャレンジさせてあげられる親でありたい。

って思うようになったきっかけですね…。



いきなり話が脱線してしまいましたが、

幼少期は自然いっぱいの環境の中にある

町営住宅で暮らしていました。



その後両親がマイホームを建てたので、

幼稚園で一緒だった友達とは別れ、

小学校入学とともに新しい土地で暮らし始めます。



(地区は変わったけど、マイホームを建てて引っ越した先も埼玉県でした!)

↑こんな感じのど田舎です!

子どものころは社交的な性格で、

男子、女子分け隔てなく

みんなと仲良く遊んでました。



よく友達を家に招いていて、

任天堂の64でスマブラと

マリオパーティーをやってから

近くの公園に行って秘密基地をつくったりして、

自然の中でのびのびと遊んでましたね。



夏になると、カブトムシを捕まえて、

角に糸を付けてふりまわして遊ぶくらい

やんちゃ娘でした(笑)

今思い返すと、大変、反省しております。。。

子供には絶対やらせません。。

幼虫とかも触ってましたよ(笑)

カナブンを虫かごいっぱいに集めてみたり😂



周りと比べても、

かなりやんちゃだったと思います(笑)

りりなの中学校~高校まで

中学からは、部活が始まり、

ソフトテニス部に入って

毎日部活を頑張ってました。

元々ぽっちゃり体形で、運動音痴で苦手だったけど

ソフトテニスが面白いって思って入ったら、

かなりスパルタな先生で…。



礼儀に厳しく、朝練もあり、土日もほぼ部活!

毎日、テニスノートを書いて振り返り!

中学は、部活三昧でした!



ちなみに私は、後衛担当でした!



元々ソフトテニスに強い学校ではなかったはずが、

私が在学している時に市内では

一番強い学校になり、

団体戦は一位総なめ、個人戦もベスト3まで

うちの中学で埋まるっていう状態でしたね(笑)



ちなみに、私は3番手だったので

一応団体戦にも出場してました!


・・・


1番記憶に残っているのが、

夏の大きな大会のダブルス。



とにかく暑い上に、天候は雨。

最悪なコンディションの中勝ち進んだ決勝戦は、

同じ中学の1番手の友達との対決。



この時まで一度も、一番手の友達に

勝てたことがなかったんですよね。



だけど、今回は勝てる。

勝つぞ、とペアの友達と試合に臨み…

初めての勝利。



夏の大会という大きい場所で勝てた瞬間は、

夢のような

なんとも言えない気持ちになりましたね…。



中学時代、

部活一色で青春してたな~って思います。



まさかの、運動音痴だった私が、

ソフトテニスで開花できると

思ってなかったので…

継続と努力をすると人は変われるっていう

成功体験にも繋がったと思います。

ソフトテニスを一緒にやっていた仲間、

そしてペアとして連れ添ってくれた親友は

今でもかけがえのない大切な人です。

特に、ずっとペアで一緒にソフトテニスを

やっていた親友には、迷惑をかけまくったので

今でも頭が上がらないです…(笑)



私自身、超負けず嫌いで

うまくプレイができなかったり試合に負けると

激高してラケットを地面に叩きつける。

発狂するヤバい行動をしていたので(笑)



それを、横で見守ってくれて、

離れずにいてくれた親友に感謝です…。

ほんとごめん〜…。

元ペアの親友。結婚式にて!

そして中学を卒業した後、高校受験では

市内で一応進学校と言われてる高校へ

進学しました。

(進学校だけど私立じゃないです(笑))



高校でもテニス部を続けようかなって思っていて、

最初はソフトテニス部に入ったんだけど…



もう、試合として戦うことは嫌だ。

キレる自分が嫌だ(笑)って思い返して、

すぐソフトテニス部をやめて、

家庭科部に入り直しました。

家庭科部では週1回集まって

お菓子つくりをしたり、

文化祭でお菓子や石鹸デコパージュを販売したり。



夏休みには近くの児童館に行って

こどもと遊んだり勉強を教える

っていうことをやってました!



ソフトテニス部時代と違って

家庭科部は週1回しか部活がないので、

空き時間を使ってアルバイトも始めました。



初めてのバイト先に選んだのは、ミスドです。

↑ミスド仲間🍩が文化祭にきてくれた!

ミスドでのアルバイト経験は、

今振り返ってみても私の人生の中で

大きなターニングポイントだったな


って思ってます。

当時高校1年生だったので

一緒に働いているアルバイトの人たちは

基本年上だったんですけど、


その中で

  • 6歳年上のママさん(写真左)
  • 2歳年上のギャルの先輩(写真右)

とすごく仲良くなったんです。

6歳年上のママさんは

若くして2人のお子さんを育てていて、

私のことを妹のように

可愛がってくれたんですよね。

週1回はママさんの家にいって

ママさんの家族と一緒に鍋パをしたり、

お出かけするのが日常で。

週末は

ほぼママさん家族と一緒に過ごしてたし、

夜中にドライブしたりと、

彼氏かっ!ってくらい一緒にいました(笑)



私は一人っ子で兄妹がいないんだけど、

本当のお姉ちゃんのように

優しく包み込んでくれて、

私が間違えたことをしたときは、

叱ってくれて…。



ミスドでバイトしたことをきっかけに

かけがえのない大切な人と出会えました。


・・・


そして、2歳歳上のギャルの先輩からの影響も

大きいです。



その先輩からはメイクを教えてもらい、

平成ギャルの爆誕(笑)

この先輩はメイクを教えてくれただけでなく、

私のダメなところを

ズバッと的確に指摘してくれる人でもありました。




今でも覚えてるな〜。


「りりなは0か100かしかないのか?
それだと人生、生きづらくなるよ」

「味方になってくれる人を、増やしなね」



などなど…。

今考えても的確すぎる。っていう、

たくさんの大切なことを教えてもらえました。



2人とも人への気遣いや優しさが

本当にすごくて、

なのに時には相手の事を思って

厳しいことも言ってくれる。



人としてすごく素敵な先輩たち。

出会えて本当にラッキーでした。

この2人のおかげで、

高校生ながらに成長できた部分も

大きかったんじゃないかなーと感じています。


・・・


しかし…

高校生活順風満帆ってわけではなくて。



私、高校1年生の時にいじめられました。

ハブられた経験があります。




高校までは

小・中と同じ仲間たちと生活をしてきて、

男女関係なくみんなと仲良し!

って環境で育ってきて。



女子グループみたいなのに属することもなく、

ホントにみんなと仲良かったやんちゃ娘。



でも高校に入ってからは、

色々な中学の人が混在する。

玉石混合な場になるわけで…。



「女子」って感じのグループもできてくるわけです。

そんな中で、

私も女子6人のグループに属していました。



普段は女子6人グループだけど、

その中でも特に仲良しな友達が出来たんです。



夏休みもその子とよく遊んでたし、

恋バナもしてた…けど…。

夏休みが明けて、学校に行ったら

友達の態度がどう考えてもおかしい…。




すごく冷たくなってて、

私何かしちゃったかな?って聞いたけど

そっけない返答で…



心当たりがなにもない状態。



強いてひとつ言うなら、

当時私には好きな男の子がいたんだけど

夏休みに告白したら振られたんだよね…。



花火大会一緒にいかない?好きです。

って言ったら振られた…涙

そしてこの相談も、友達にしてました。



人生はじめての告白、

人生最後の告白が高校一年生の時です。



振られたのが原因だったのかな…。

なんでいきなり冷たくなって、

無視されたのかは今でも全くわかりません。

真相は闇の中。



ということで夏休みあけ早々に

女子6人グループからハブられてしまい、

自然と離れざるをえない状態になりました。



正直…

友達と好きな人が被ってて

私が横取りして付き合った!とかだったら

ハブられるのも納得だけど、

私振られてるし…



理由がわからない。

私何かした?なんで??って、

すごく辛かった。




その後別の女子グループに入れてもらったけど

女子って怖いなって思う経験でしたね…。

ミスドの先輩たちと

この時、バイト先のミスドに

居場所があったから

なんとかやってこれたって思ってます。


・・・


高校2年生からは、

ハブってきた友達とは

別のクラスに行きたかったので、

文系の選抜クラスにいきました。



(文系選抜クラスは1クラスしかないので

ハブってきた子とは別クラス確定)



9割女子のクラスだったけど、

小学校からずっと仲良しの友達もいたので

高校2年生の1年間は

すごく楽しく過ごせました!

文化祭ではミスドの出店をして、

私のバイト先からドーナツを仕入れて、

みんなで売るってことをして。



楽しかったー!!


仲良し女子グループもできて

「目玉同盟」っていうのもやってた(笑)



平成中期、「〇〇同盟」みたいなの

超流行ってたよね!?(笑)



高校一年生でなくした青春を

取り戻せた時期
です。



そして、あっという間に高校3年生に。



1年、2年の間は文系クラスにいたんけど

歴史、地理がどうしても無理で。

まさかの高校3年から理数系に移動しました。



進学校だった私の高校では、

3年生になってから急に

文系から理系への進路変更なんて

前代未聞だったらしい…(笑)


1年・2年と文系にいた分、

2年生まででやるべき理数系の勉強を

していませんでした。



なのでその範囲は自分で勉強して、

先生から出された問題を毎日提出する!

っていうことを約束に理数系に進み、

なんとか勉強もがんばってましたね。



・・・



ちなみに理系なので、クラスの9割が男子…。



当時、ミスドの2個上の先輩から

メイクを教わってギャルメイクをしていた私は

裏で男子から「お目目真っ黒さん」と

呼ばれていたらしい。。

後から聞いて、おい!ってなりました(爆)



こんな感じで、

色々あった高校生活でしたが…



勉強に、学校生活に、ミスドでのアルバイト。



全てを思い返した時

ぶっちゃけ、ミスドでのアルバイトが

高校時代で一番楽しかったし、

良いご縁に恵まれた環境だったなって思います。


とくに、高校1年でハブられて

「自分の居場所」をなくした時は

バイト先の存在が私の中で

すごく大きかったんです。



私は、辛い時期こそあったものの

ミスドという「居場所」があったから

なんとかやってこれた。



でも、この居場所がなかったら

どうなってたかなぁ。。。

高校辞めてたまであるかも。



高校辞めてたとしたら

この後の人生どうなってたか?

わからないし、

発信者としてのりりなはいなかったかも。



人間って、思ってる以上に

「自分の居場所があるかどうか」で

自己肯定感が左右されると思ってます。




そして、主婦になった今でも思う。


主婦って意外と、孤独なんだよね。。

私がマネハピ部で「居場所づくり」に

こだわっているのは



こういう経験があったから、

っていうのも大きいかなーって

感じています。



そして。


アルバイトをOKしてくれて、

週末は友達ママの家に入り浸って、

夜中もドライブに行って帰ってこない…。



っていう娘の私に、

何も言わずに好きなことを

させてくれていた両親
には、

改めて感謝です…。

私は一人娘なので、

普通だったら心配したり、

それはダメ!って言われていても

おかしくなかったなって思っています。



自分が親になってみて、痛感する…。

両親の偉大さに今になって気づかされてます。



こんな感じで知らず知らずのうちに

周りに助けられ、支えられて高校生活を終え、

大学に進学することになりました。

りりなの大学時代

進学した大学は

「これがやりたいから入った」って訳じゃなく、

偏差値的に行けたから選びました。



正直、大学は行っても行かなくても

どっちでもいいやって思っていたけど…



おじいちゃんが、

「どうしても大学に行ってほしい」

って言っていたので進学しました。

おじいちゃんは

かなり世間体を気にする人だったから


今の時代大学にいかないなんてあり得ない!


って思うタイプだったんだよね…。



なので。

偏差値的に入ることができた

東京の大学へ進学…。

田舎者ってなめられないように

入学式は金髪で参戦(笑)



(今考えると、
田舎者ほど金髪にするよね…はずっ(笑))



大学では、

オールラウンドサークル(通称飲みサー)

に入って(笑)

サークルにフルコミットしてました(笑)



「飲みサー」って聞くと

チャラ付いたイメージ持つ人が

ほとんどだと思うんだけど、



中身としては「飲み」に対して

超厳しいサークルでした。



鉄の掟があったので、少し紹介します…!

~鉄の掟~
  • 飲むのはビール🍺のみ
  • 瓶ビールのラベルは一番上の先輩に向ける
  • つぐときと受けるときは両手で持つ
  • はしを割るとき、食べる時は、近くの先輩に許可を得てから
  • ビール🍺の泡が乾く前に飲む
  • 乾杯は杯を乾かす(飲み切る)
  • 下の後輩がビン出しをする(瓶ビールを適切な本数で頼んで設置)
  • 飲み会が終わって食べ物が残ってたら一番下の学年が食べきる
  • 飲み会が終わったら、お皿とか端に全て綺麗に片す
  • 先輩に飲ませたい時は、自分が3杯飲んでから😂
  • 先輩のグラスが空いてるのに気が付かなかったら3杯飲む😂
  • 先輩の言うことは絶対😂

そして、飲み会は

コールでみんなで一体感をもって

飲み続ける!!

りりな

今の時代には合わないですね~(笑)

もし、TikTokとかがあの時代に流行ってたら間違いなく炎上してましたね。。

そして誕生日には

「壺」っていうのがあって、



瓶ビール1本分入る壺を何壺飲めるか?

っていうのをやってた(笑)



私は、8壺いきました(笑)

  • みんなの前で、黒いビニールに吐きつつだけど(笑)汚くてごめん😂


個人コールもあって、

先輩が後輩にコールを

授けてくれるんだけど

私のコールは2つあります(笑)



1つだけ紹介すると、

モーニング娘のラブマシーンの曲を

アレンジしたものが私のコールです…!



私の結婚式の入場曲に使いました(笑)

もう10年以上前なので

時代的にアルハラが当たり前だったけど

それがまた面白かったんですよね😂

今やったら問題なので、もうできない😂

毎年3回、合宿に行って
(新歓合宿、沖縄合宿、スノボ合宿)

週2回は、サークルでの飲み会があって

学祭にも出店して…

ドライブに行って…



新歓の時期は、毎日歓迎会で飲み会を開催して…


大学生活4年間は、

仲間とひたすら飲みにコミットした

日々でしたね!

ちなみに…

私、炭酸苦手で飲めないんです。

コーラとか飲めない。

(でもコカコーラの株主(笑))



だけど、

サークルがビールオンリーだったから

ビールだけは飲めます🍻



お酒が強いわけではないので、たまにつぶれてました(爆)

でもここでも、プチトラブルがあって


私自身、大学時代もわがままで

未熟者すぎて

色んな人をキレさせる事件を

起こしたりしてたんですよね…

キレさせた事件①

後輩に理不尽に飲ませすぎたら

キレられて瓶ビールのケース蹴とばしてた…

理不尽でごめん(笑)

キレさせた事件②

私が大学4年生の時の学祭で、

学祭にふら~っと遊びに行って

後輩全員、おごるぞ~って

1年・2年をかっさらって行って、



そこのブースから人がいなくなり。

当時きりもりしてた3年生をぶち切れさせた…

ごめん…(笑)


キレさせた事件③

沖縄合宿で、

後輩にとにかく飯食べさせまくったら

キレられて「くそアマ」って言われた。


その後、何かあるたびにその子から

「くそアマ」って言われるようになった(笑)


キレさせた事件④

新歓合宿で、

私が合宿の代表担当だった時、

旅行チームの飲みが甘くて先輩がぶち切れ。



先輩「お前ら飲めよ」とぶち切れてて、

壁にグーパンして穴空けた…


私、恐怖から泣いて

トイレにひきこもる…😭



(後日、穴の修理費用は

ちゃんとサークルの基金から支払いました)

↑横(同期)のマブにアルハラする私(笑)
楽しそう(笑)


ほんと変わり者だらけのサークルで

私もヤバイ人間だったけど

当時、なんのしがらみもなく、

ありのままでフルパワーでいれたこと。



こんな私を、今でも慕ってくれる後輩や、

仲良くしてくれる横(同期)、

可愛がってくれる先輩がたくさんいるので、

人に恵まれたなって思ってます。



ちなみに・・横の女友達からは

「りりなは私のパワースポット!女神!」

って言われます(笑)



変わり者たちが集まるサークルで、

大人になった今、

仕事で成功してる人も結構多かったりします。


・・・


こんな時代があったなんて…って

びっくりしちゃうフォロワーさんも

いるかもしれないけど、



これが私です…(笑)



発信をしていると

「りりなさんってまじめで、
とっつきにくい感じの人」

って思われることが多いんだけど、

そんなことないです。

結構、ポンコツです😂



そしてここ数年で

SNS以外のリアルイベントで

フォロワーさんに会うことが

増えてきたんだけど、



実際会ってみたら、やわらかくて、

ゆっくり話をする人でイメージ変わりました


って言ってもらうことが多かったり…。



あとは、圧があるって言われたり・・(笑)



謎の、覇気みたいなのが出てるんですかね?(笑)



いずれにせよ、SNS上だけで

みんなが見てるりりなと、実際は

全然違うんだよ!!




ってことを伝えたいです(笑)

・・・



こんな感じでつらつらと、

りりなの過去について

曝け出してみました。



今まで話してこなかった部分なので

びっくりした方も多いと思うけど、



人とのご縁に支えられて

今の私があるなって思っています。


私が普段から「ご縁」「繋がり」

って言っているのは、



私自身が昔から人との

ご縁・繋がりに助けられてきたから


なんだよね。



正直当時は、

ご縁や繋がりの事なんて

あまり考えていませんでした。



でも今振り返ってみると、

この過去の体験は間違いなく、

今のりりなの軸を作るきっかけに

なってくれているな、と強く感じます。



そして、読んでもらったわかる通り、

元々ダメダメのポンコツ人間で

我が強くて、

人を傷つけてしまうこともある。



まだまだ至らないことが多い私だけど、

発信を通じてたくさんの人と

DMなどでやり取りをして、

実際にお会いして…。



色々な価値観、解釈があることって

素晴らしいし、

すべては◎である。


ということに気付かされました。



今までの私は、

0か100かでしか物事を

捉えられなかったので、



何かの拍子に傷つけてしまった人も

きっと居たと思います。



まだ、至らない点が

たくさんあるけれども、

多くの事を経験し自分自身

成長していきたい。




私のありのままを

今後も発信していくので、

私のありのままを

応援してもらえると嬉しいな…。



いろんな価値観を受け入れる。

自分を許して、他人を許す。




発信を通して

私が気づくことができた、

新しい価値観です。


・・・

そして最後に…


私の母親に

「過去後悔してる事ある?」

って聞いたときに言われた言葉を。

「過去に後悔しても、

その『後悔する』っていう

出来事がなかったら今がないよね~」




って言ってた。



私自身、

後悔する出来事をたくさん経験

しているけど…



それがなかったら、

今がなかったかもしれない。




過去の出来事や経験が積み重なって

今のりりなという人間ができました。




新しい価値観や学びをどんどん吸収して

パワーアップして、

それをみんなに還元していきます。



私に関わってくれた人を

みな幸福にしたい。



幸福にするため、

自分の魂レベルを上げたい。

上げていきます!

新卒で就職。社会人7年目で地獄の底へ

ちなみに、この後大学を卒業し、

就職し、結婚…という人生を

歩んだ私ですが…



2018年から2020年にかけて

人生のドン底の出来事を経験しました。




正直これは今でも私の中で、

すごく大きな心の傷になっていて。



今まで話すことが

できなかったんですけど、



少し時間が経ったっていうのもあり

今回みなさんに話すことに決めました。



この話に関しては

エピソード②の記事で話しています。



もし、まだ読んでいない方がいれば

ぜひこちらを読んでいただきたいです。

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