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家計×投資について発信
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りりな

元浪費家で貯金を切り崩す生活を3年経験
そんな私が、結婚を機に
家計管理と投資を組み合わせた資産形成をし
結婚3年目で、2000万円の貯金に成功!

2000万円を貯金した
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お金に対する悩みを抱えている方の
参考になれば幸いです。

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    Episode②|りりなの過去

    実は、今までみんなに

    ずっと言えてなかったことがあります。



    今まで話せなかった、私の過去のこと。

    2018年から2020年ごろの話です。




    私が資産運用と発信を

    本気で頑張るきっかけとなった

    出来事がありました。

    本当に辛い地獄のような、

    身が引き裂かれるような思いをした

    数年間だったけど、



    この時期がなければ間違いなく

    発信者としての「りりな」は


    いませんでした。



    ・・・



    りりなのビジョンである、



    さらば節約だけの人生。

    私とお金の共働きで生活が豊かになる。

    家族・子どもとの時間も大切にして
    心も豊かになる。




    みんなで幸せな人生を作っていきたい。




    …この想いは、

    今から話す約3年間という期間の

    苦しみや経験があったからこそ

    生まれたものです。



    つまり、発信者りりなが生まれた理由。

    この答えが、今から話す話の中にあります。



    だからこそ、みんなに知っておいてほしい。



    「なんでりりながこのビジョンを

    掲げるようになったのか?」

    「過去に何があったのか?」




    本当は言いたくないこと。



    トラウマになっていて、思い出すのも嫌で

    怖くて言えなかったこと。



    今まで、なんとなくぼかしてきたこと。



    これが、この記事に詰まっています。



    りりなの過去。迷ったけど、

    この記事を書くことに決めました。



    ・・・



    私はほんの数年前まで、多分

    みんなの想像とはかけ離れた生活

    していました。



    「私の人生はもう詰むんだ。」

    ってくらい、

    とんでもなく悪い状況が続いていて。



    およそ3年間の人生のドン底を体験して、

    それをなんとか乗り越えて…

    今のりりながいます。



    やっと話す勇気が出たので、

    ここで話させてください。

    長くなりますが、読んでもらえたら嬉しいです。

    もくじ

    お祈りメール連発の中、やっと貰えた初めての内定

    Episode①|りりなの生い立ち」で

    お話ししたとおり、

    幼少期から大学を卒業するまでは

    普通で平凡な人生を送ってきた私。



    大学を出てからは、新卒で

    東京にある広告系の会社に就職しました。



    広告系の会社を選んだ理由は

    • 私自身、なにも取り柄がなくやりたい事もなかった
    • 友達が広告業界で就職先を探してるっていうのを聞いたから
    • 営業の仕事なら、スキルのない自分でもできるかもと思ったから

    こんな感じの理由でした。



    正直、今までは

    親の敷いてくれたレールに乗って生きてきて

    自分の軸もない人間だったと思います。



    自分の軸がない人間だったからこそ、

    就職活動もかなり苦戦しました。



    お祈りメール連発で、

    周りの友達は就職先が決まる中、

    私は就職先がなかなか決まらず。



    自分だけ置いてきぼりになり

    大きなストレスを抱える日々。



    そんな中やっと内定が出た会社が、

    25人規模の広告系関連の中小企業でした。



    でもね、内定は決まったものの

    社長から全く期待されてなかった
    んです。



    入社した後に社長に

    「なんで内定を出してくれたんですか?」

    と聞く機会があって。



    すると…返ってきた言葉が

    「りりなさんはしつこかったから内定を出した」

    だったっていう…。



    全く期待されてなかったんです…。


    ・・・


    1つエピソードがあって。



    面接の前に、会社からメールで


    「ポートフォリオがある人は

    持ってきてください」

    って一文があったんですよね。



    でも当時の私は

    「ポートフォリオってなに?」状態。



    でも、とりあえず用意しなきゃ

    ってことで急いで調べたところ、



    デザインなどの自分の作品をまとめたものが

    ポートフォリオって言うらしい…。



    私自身、デザインとかやった事がないけど、

    流石に何か持って行かないと、と思い…



    自分の歴史をまとめたものと、

    大学の友人・先輩・後輩に頼んで

    「りりなとはこんな人です!」っていう

    資料を作って、面接に望んだんです。



    これが、

    しつこい人間って思ってもらえたようで…

    内定をもらうことができました。



    嬉しかったんだけど

    そこでもちょっとショックを受けたのが、



    内定が出たのが4人だったんだけど

    「ワンピースのメンバーにあてはめて選んだ」

    って社長が言っていて。



    私はその中で、ウソップ枠だったそうです…。



    このワンピースのくだりは

    入社直前に聞いた話だったので、



    「入社する前から全く

    期待されていない状態じゃん!」


    って悲しかったのを今でも覚えています(笑)

    少しずつ認めてもらえるようになり、やっと見つけた自分の居場所

    会社に入社してからは、新規営業として

    • 内勤の時は新規テレアポ100件
    • 外勤の時は新規飛び込み20件

    この件数を

    毎日毎日こなす日々を過ごしました。



    会長から「考えるな!感じろ!」と

    口酸っぱく言われていたので、



    まずは、やってみること。

    量をこなすこと。

    量をこなした先に、質ができてくるということ。



    この言葉を信じて、

    ひたすら毎日毎日量をこなして。



    努力の甲斐あって、

    新人ながらも広告の契約をしてくれる

    お客さんが増えていきました。


    ・・・


    2018年に、初めて契約をくれた

    お客さんのことを今でも覚えています。



    そのお客さんは、

    神奈川県でしゃぶしゃぶ屋さんを

    営んでいる方です。



    真夏の暑い時期、

    汗をかきながら新品の黒いスーツを着て

    ひたすら飛び込み営業をしている中、

    見つけた飲食店で。



    時間的に、まだオープンしてなかったので

    最初は、テレアポをして、OKをもらったので

    資料を郵送しました。


    資料の中に、私の自己紹介カードを入れて送った。



    後日、進捗の電話をし訪問のアポがとれた。



    はじめての訪問アポで、緊張マックス。



    先輩に同行してもらったけど

    自分で話すようにって言われたから、

    事前にシュミレーションしていた内容で

    話そうと思ったけど、

    内容が飛びまくってうまく話せなくて…。



    先輩にサポートしてもらいつつ

    なんとか商談終了…。



    後日、どうでしたか?って連絡をしたところ

    広告を実施してもらえることとなりました。



    そのお客様に本当にかわいがってもらって

    仕事の話やキャリアの相談、

    結婚の相談などなどいろんな相談をしてたな~



    お客さんの紹介もしてもらったりして…

    成長させてもらいました。



    ふと、そのお客様に

    「なんでいままで広告を出してなかったのに

    出してくれたんですか?」

    って聞いたんです。



    そしたら…

    「この子は、新人さんなんだな。

    って見た目ですぐわかった。

    頑張っている姿を見て、

    今まで広告は断っていたけど、

    契約してあげようって思った。」

    って仰られたんです。



    …本来であれば、広告に魅力を感じて

    契約する人がほとんどだと思うんですよね。



    でも、人柄を好きになってもらって、

    初めての契約を頂きました。




    広告って世の中たくさんあって、例えば

    • WEB広告
    • 新聞広告
    • チラシ
    • 電車の広告
    • 駅の看板

    などなど…。


    「どこにどんな媒体の広告を出すか」

    っていうのはもちろん大切だけど、



    その中で広告を「誰を通じて出すのか」

    というのもお客様にとって付加価値になる

    部分かもしれない。


    って、この初めての契約を頂いたときに

    思ったんですよね。



    広告会社や営業の人も世の中たくさんいる中で



    お客様の企業 対 広告企業 

    ではなく

    お客様の企業 対 りりな。



    私と一緒に広告を作り上げて、

    私が今後も担当していくことに

    安心感を持ってもらう。



    そういう営業ウーマンになりたい。

    って思って精進してきました。

    広告の知識だけでなく、

    「人柄」を好きになってもらいたい。



    なにか悩んだときにまず最初に

    私の顔が思い浮かぶ存在になりたい。

    そう思っていました。



    その後も幸いなことに、

    年数を重ねていくうちに

    たくさんの優しいお客様に恵まれて…。



    たくさんの経験をさせていただきました。



    広告以外でも

    • 名刺作成
    • 会社のパンフレット作成
    • のぼり作成
    • 店舗の施工
    • 駐車場のライン引き

    多岐にわたって、

    お客様のお悩みを解決できる

    営業ウーマンに成長!

    これも、私の事を信用して

    任せてくれたお客様がいたからこそのこと


    本当に多くの経験を

    させてもらえたと思っています。


    ・・・


    本当に、ステキなお客さんに恵まれて

    たくさんのエピソードが私の中にあります…。

    神奈川県に根付く、とあるお菓子屋さん

    まさかの役員3人の前で、

    新人の私が一人でプレゼン!



    広告契約をしてもらったあとも、

    いろんな仕事を任せてもらい

    店舗出店の時は、

    レセプションに呼んでもらえる関係に!


    神奈川県で複数店舗を構える不動産会社さん

    りりなさんっていうパワーある女性がいる

    って社員に良く話してる!と言ってくれたお客様。



    私との出会いをきっかけに、

    自己紹介カードを導入したらしい(笑)

    神奈川県のとある歯医者さん

    元々長くお付き合いをしていた、歯医者さん。

    事務長から言ってもらえたのが

    「今まで担当者がたくさん変わってきたけど

    りりなさんが一番!

    うちのことを、第一に考えてくれてるって

    感じ取れて信頼してるよ。」って言ってもらえた。


    ・・・


    失敗した経験もたくさんあるけど

    ステキなお客様に恵まれて、

    成長の機会をたくさん与えてくれて

    人として私を見てくれて…。



    感謝の気持ちでいっぱいです。



    業界柄男だらけで体育会系の職場でしたが、

    新卒からの頑張りの甲斐もあって

    それなりにしっかり成果を出すことができ、

    20代のうちに一応、課長のような役職に。

    部下が4人くらいいる状態で

    日々の業務も楽しくて、やりがいがあって…。



    最初はやりたい事がなくて

    「内定が出たから」って理由で

    就職した会社だったけど、

    • お客様から頼ってもらえる
    • 会社でも仲の良い先輩や後輩ができた
    • 役員の人達とも良好な関係を築くことができた

    という環境となり、

    気づいたらすっかり会社が自分の居場所に。



    もっとみんなの期待に応えたい。

    これからも応え続けていきたい。



    って本気で思っていました。

    人生のドン底の始まり

    でも、26歳くらいになった頃…。



    22歳の時から付き合っていた彼氏(現夫)と

    4年付き合ってきて、

    年齢的にもそろそろ結婚かな?と

    考え始めたときに。



    ふと

    「このまま営業の仕事を続けていけるのか?」

    っていう、

    キャリアに対する不安
    が浮かんできました。



    「結婚して子どもができても、

    今のスタイルで営業の仕事を

    続けていけるだろうか…?」



    今後について悩み始めた時に思い出したのが、

    日本映画の「ガール」



    ガールを見たのは大学4年生の時、

    仲良しの女子5人組で

    ハワイへ旅行へ向かってる時。



    飛行機の中で

    「香里奈が出てるから」って理由で

    なんとなーく見た映画でした。

    その中で香里奈が、



    いつまでもキラキラ女子ではいられない。

    年齢を重ねていく中で少しずつ

    現実と向き合って「人生の選択」を

    余儀なくされていくシーン


    出てくるんですよね。



    正直、

    映画の内容は全然覚えてないんだけど、

    唯一心に残っていたのが



    「女性の人生は選択の連続であって、

    時には諦めないといけないこともある」


    っていう言葉です。



    私自身、仕事は好きだしやりがいもあるし

    キャリアは捨てたくない。



    でも、結婚もしたいし、子どもも欲しい…。



    となると、妊娠・出産・育児中は

    今まで通り働き続けるのは

    難しいのはなんとなく分かる。



    つまり、


    「全部を全部
    今まで通りにやっていくことは
    難しいんだろうな。」



    っていうことに気づき始めました。




    きっと今、

    • 営業としてずっと働き続けるのか?
    • 結婚や出産・育児などで働き方を変えないといけなくなる(=キャリアの道を諦める)のか?

    この選択に立たされているんだろうな。

    って感じたんだよね。



    ・・・



    ここで、仮に仕事をセーブして

    家庭を取るって考えると…



    私自身、営業の仕事しかできない。

    してきていない。でも、続けるのは難しい。

    かといって、別の業種に転職するのも不安。



    そして何よりも、

    今の会社の居心地がいい。

    「私の居場所はここだ」って思ってました。



    なので、

    キャリアの不安を役員に相談したところ…



    「りりなさんにはずっと
    会社にいて欲しいと思ってる。」


    「産休育休の実績が会社にはないけど、
    第一号になってほしい。」


    「こどもができたら、
    りりなさんのために保育園をつくるよ!」


    って言ってもらえました。



    冗談も混ざっていたとは思うけど、

    ここまで私の事を大切に

    思っていてくれてるんだ。



    キャリアを守りつつも女性としての結婚、

    子育てもこの会社なら続けていける。と思って


    「この会社で働き続ける。ここに骨をうずめる。」

    って決めたんです。



    だからこそ、

    60歳までやめることのできないiDeCoも、

    やるって決断できた…。


    そしてこの役員への相談をきっかけに

    今後のキャリアに対するイメージを

    持つことができた私は、

    2018年に夫と結婚。



    「妊娠したら産休育休をもらって、

    ここでずっと働くんだろうな〜」


    と考えながらも

    仕事に没頭する日々を送っていました。


    この時を振り返ってみると、



    長く付き合った彼氏と結婚して、

    仕事も人間関係もうまく行ってて

    女性としてのキャリア・家庭の持ち方の

    イメージもなんとなくついていて。



    他人から見ても自分から見ても

    すごく良い状態だったと感じます。



    でも、そんな良い状態は

    あまり長く続きませんでした。。

    子どもができない。不妊治療開始から、少しずつ人生の転落期へ

    人並みに順風満帆な人生に、

    少しの陰りが見えてきたのが

    結婚して少し経った頃。



    ふと「なかなか妊娠できないなぁ…」

    ということが、少しずつ気になり始めました。



    そんななか、仲の良い友達と会った時に

    「この前不妊治療のクリニックに行って、

    妊娠できるかどうかのチェックを

    してもらってきたんだよね…」

    っていう話を聞いたんです。



    その会話をきっかけに「婦人科に行くと

    そういう検査を受けることができるんだ!」

    と知ることができたので



    早速婦人科クリニックへ行き、

    妊娠できる体なのかどうか?

    みてもらいました。



    この時、まだ私は20代。



    『婦人科で検査をするには

    ちょっと早かったんじゃない?』

    って言われることもあるので補足すると、



    実は私には持病があるんですよね。



    大学3年生のときから

    「橋本病」という病気を患っています…。

    ↑首(甲状腺)が腫れてるのわかるかな…?



    大学3年生の夏に、バイト先のおばさんから



    「喉がはれてるね。

    もしかしたら甲状腺の病気かもしれないから

    病院にいった方がいいよ。」



    って助言をうけたんですよ。



    だけど、当時大学3年生の私は

    気にも留めなかったんですね…。

    (体に不調は特にないし、病院にいくのもめんどくさかった…)



    でも、大学3年生の冬にあった健康診断で

    甲状腺の病気かもしれないから

    病院に行きなさいと通達が。



    夏におばさんから

    注意喚起を受けていたうえに、

    健康診断でも通達が来たので

    「さすがにこれはまずいかも」って思って。



    表参道にある、甲状腺で有名な

    「伊藤病院」へ母親と一緒に行きました。



    行く道中に、母親から言われたのが

    「パパのお母さん(私からしたらおばあちゃん)も

    甲状腺の病気を患っていたから

    もしかしたら遺伝したのかもね…」と…。



    橋本病は、治ることがない病気です。


    なので、甲状腺機能を安定させるために

    毎日薬を飲まないといけないんですよね。



    今でも定期的に通院をして、

    毎日薬を服用しています。

    橋本病の症状

    出典:岐阜赤十字病院-慢性甲状腺炎(橋本病)
    • 太りやすく、眠くなりやすい。
    • 肌はカサカサ、なんだか体がだるい…。

    こんな症状がでるのが橋本病で、

    14年以上この病気と付き合ってきています。

    (まぁ、薬を飲めば大丈夫なので普段元気ですっ!
    なので、みんな安心して下さい🫶)




    そして同時に橋本病は

    「妊娠しづらい」とも言われている病気で。



    薬を飲んでいるから普段は元気とはいえ、

    自分の身体に不安を抱えてもいました。




    そして検査の結果…



    「やはり妊娠しにくい体質かも。」



    っていうことが発覚したので、

    夫と相談した結果、

    すぐに不妊治療を開始することになりました。


    この頃から私の人生の本格的な

    ドン底時代が始まるのですが、


    後から確認してみたら、ちょうどこの時期が

    私の大殺界と重なっていました。




    みなさん、大殺界って知っていますか?

    生年月日から導き出すことができる、

    「運が悪くなる」と言われている時期です。

    ↑天中殺(大殺界)のタイミングが
    ちょうど人生の大底のタイミング
    だったんだよね…。



    スピリチュアルに

    すごくハマっているわけではないけど、



    やっぱり星とか運気とかには逆らえないのかな。

    って、これを書きながら感じましたね。

    …ちょっと脱線してしまったので話を戻すと、

    不妊治療の大変さが、とにかく想定外でした。


    実際治療をされた方には

    分かってもらえると思うのですが、



    自分の身体のサイクルによって

    急に「明日クリニックに行かなきゃいけない」

    みたいなことが月何回も出てくるわけです。



    そして他にも

    • 当時不妊治療は完全自費治療だったので、お金がかかる
    • 年間12回しかチャレンジするタイミングがない
    • 終わりが見えない

    こんな状況に焦り。


    そうなると何が大変か?っていうと、1番が仕事。


    一応、一部の上司に

    不妊治療をすることは言っていたけど、

    部署内で大々的に言ってはなかったんです。



    そうするとやっぱり、

    急な休みや遅刻・早退が続くことを

    良しとしない空気感もあるわけで…。



    この会社に骨を埋める!って思いで

    新卒から必死に頑張ってきた、営業の仕事。



    でも不妊治療をきっかけに

    会社の人間関係が崩れ出して。




    自分が気が付かない間に、

    歯車がおかしくなっていった…。




    そして最終的には、信じていた人たちから

    まさかの対応を受けたことが決定打となり…。



    「りりなさんのために保育園を作るよ!」

    って言ってくれた、役員さんたち。



    そして、7年間ずっと一緒に頑張ってきた

    同僚のみんな。



    そして、私を可愛がってくれて

    たくさんの機会を与えてくれたお客様方。



    出産育児で

    少しキャリアにブランクができたとしても、

    定年までずっと続けるつもりの仕事でしたが、



    結果として、

    人生をかけてきた会社を妊娠する前に

    辞めることになってしまいました。




    信じていた人から裏切られ、

    今までのご縁が断ち切られて。



    大切だったものを失い、

    私にはなにもなくなった。



    そしてなにより苦しかったのが…



    今まで、お世話になってきた

    大切なお客様に

    退職の挨拶をする時間を与えてもらえなかった。




    一言でもいいから挨拶をしたかった。



    今でも悔いが残っていて。

    これを書きながらも泣きそうです。悔しい。



    …いつか、

    今の成長した・新しいことを始めた私を

    見せに行きたいって思っています。



    「あの時は、
    挨拶せずに急にやめてしまいすみませんでした。」




    この一言を言いに行きたいと思っています。


    ・・・


    この時期の出来事は、

    私の中ですごく大きな傷になってて、

    これ以上の詳細までは

    まだ話す勇気がありません。



    これを書いてても

    涙が出そうなくらいのトラウマです。



    この時、苦しかったのに、相談が出来なくて…

    夫、親、友達…。誰にも相談できなかった。

    私のちっぽけなプライドが邪魔した。



    仕事をやめた後

    毎晩毎晩、お風呂で夫に悟られないように

    声を殺して泣いてました。



    椎名林檎の TOKYOを聞きながら…

    何度、今が夢であって欲しいと願ったか。

    何度、時を巻き戻したいと願ったか。

    つらい。助けて。の一言を言えなかった…。

    妊娠できない、お金がない、仕事も無くした2020年の1月

    2020年の1月。


    私が仕事を退職した直後に、

    夫婦で話し合いをして、当時住んでいた家から

    引越しをすることにしました。



    お金がなかったからです。



    ずっと共働きでいると思って

    契約した賃貸だったので、

    毎月の家賃は14万6000円…。



    私が仕事を辞めたため、

    夫の一馬力でこの金額を払っていくことが

    難しくなりました。



    この時の家計の現金預貯金は多分、

    400万円ないくらいだったかな?


    一応この時、

    2018年からつみたてNISAを初めて

    1年ちょっと経った段階で、



    優待目当ての個別株投資なども

    ちょこちょこと始めていた時期です。


    この時、現金として手元にあって使える分が

    • 夫名義で80万円くらい
    • 私名義で300万円くらい

    という感じ。



    これに加えて

    投資分+夫の財形貯蓄+私のドル建て保険

    がある状態。



    なので、諸々かき集めると

    結婚2年目の段階で資産は

    1,000万円台だったと思います。



    正直、額面だけ見ると

    「お金なくないじゃん!貯金あるじゃん!」

    ってなるかもしれません。



    でも…



    先の見えない不妊治療で
    どんどんとお金が溶けていく現実。


    投資分はあっても、
    これは将来のためのお金だから
    手をつけられない。


    そしてこの後話すんだけど、


    この家族の危機的状況でも、
    夫は家にれるお金を増やしてはくれなかった…。




    夫がやっていた財形貯蓄を

    現金化しようと思えばできたはずだけど、

    それもしてくれそうになかった。



    なので、夫の資産は

    ないものとして考えなければいけない。



    こうやって考えると、

    現実的に使えるお金は少なかったんですよね。



    しかも、今お金があったとしても

    これからは、それを切り崩していく生活が

    ほぼ確定してる
    わけです。



    贅沢してるわけじゃないのに、

    じわじわとお金がなくなっていく。

    これってすごく怖いことだと思いませんか?



    だから、固定費をとにかく下げるために

    築40年のかなり古めのアパートを選びました。



    前のマンションとは全然違う古いお家だけど

    ここはとにかく我慢。



    固定費を下げることを最優先にしました。


    ・・・


    そして結局この後、

    仕事を辞めた私が頑張って唯一続けてきた

    不妊治療もストップ
    することになりました。



    私の心が

    不妊治療と向き合える状態じゃ

    なくなってしまったからです。



    実はこの頃、クリニックに対する不信感が

    どんどん大きくなっていったっていうのもあり。



    詳しく話すと長くなっちゃうので簡単に話すと

    クリニックに通った1年間のうち、

    先生から「避妊をしてください」

    っていう指示をされていた期間が

    すごく長くて…



    12ヶ月中、9ヶ月もの間

    前向きな治療ができず、



    たくさんのお金を使ったのにチャンスは3回だけ。

    しかも全部失敗。



    タイミングすらとってはいけない状態で

    「今月はもう妊娠の可能性はないんだな」

    って考える毎日。

    私のメンタルはズタボロになりました。



    1年に12回しかないタイミングのうち、

    9回もチャレンジができず

    ただ時間が過ぎるのを待つって…

    そんなことある?って感じで。



    精神的に辛くなり、

    不妊治療クリニックへ行くのが

    本当に嫌になりました。



    もちろん医療的に

    仕方ないことだったんだとは

    思うんだけど、



    私としてはどうしても

    不信感が拭えなくなってしまって。



    その上、その不信感にトドメを刺すような

    言動を受けて、

    気持ち的にも場所的にも、

    ここで治療を続けるのは難しいかも。

    って思ったんだよね。



    いろいろ犠牲にしてここまで来た。



    だからせめて、子どもだけは…って

    1年ほど不妊治療をがんばってきたけど

    「ぷつり」と自分の中で糸が切れました。



    不妊治療すらできなくなった。

    子どもはできない。本当に全て失った。



    ・・・


    これを読んでくれている人だけに、

    当時全てを失った私が作った

    Youtubeの動画があったので公開します。

    youtube上では今も非公開になっていて

    このURLをタップしてくれた人だけが見れる動画。



    今日も1日生きた。って書いてた。。

    結構追い詰められてましたね。

    生きててよかった。

    なんだか重みがすごい。




    何から何まで全て失って、

    何者でもなくなって、

    すごく追い詰められていた時に作った動画です。

    夫との「お金に対する価値観の違い」に苦しむ日々

    退職して、不妊治療もやめて、

    日々節約と家計管理を頑張ってきた私ですが

    それでもどうやってもお金が足りず…。



    さっき、上の方でちらっと触れたんだけど
    今でいうマネーハラスメント的なことを
    夫から受けていて。




    夫に家計の状態を説明して

    「家に入れるお金をもう
    少しだけ増やしてほしい」

    「毎月5万円やっている財形貯蓄を
    できたら家計に回してほしい」


    と相談したこともたくさんありましたが、

    聞き入れてもらえませんでした。



    夫とのお金の価値観の違いを感じたのが

    この時です。


    ・・・


    私は結婚した当初、


    「結婚したら運命共同体。
    灰になるまで一緒にいようね。


    きっと、あなたのほうが年齢が上だし
    男性だから、先に灰になるのを
    私が見届けるね。


    灰になったら、ダイヤモンドにして
    ずっと一緒にいたいな」


    なんてこと言ってたんですよ(笑)

    今思うと重すぎるやばい女すぎる…(笑)



    まあ、重いのは置いておいて、

    私的には「運命共同体だからこそ

    結婚前の貯金も合算して

    家族として家計を守っていくもの」


    だと思ってたのね。



    だけど、夫の価値観は違ったみたい。


    直接的に言われたわけではないんだけど

    この頃の夫の態度から、

    価値観の違いをまざまざと感じました。



    なので、夫にお金のことを相談しました。

    でも、

    • お金をもう少し家計に入れて欲しいって相談した時も
    • 財形貯蓄を家計に回してほしいって相談した時も

    全く聞き入れてもらえなかった。


    私は「私のお金=家族のお金」

    っていう認識
    でいたんだけど、



    夫は「自分のお金=自分のお金」

    って認識
    なんだと思う。



    何かあった時に助け合うのが

    家族だと思ってたし、

    実際その「何か」が今起こっているのに。



    こんな時でも、

    家計に入れるお金を増やしたり、

    緊急事態だから…って

    「財形貯蓄を切り崩そう!」

    って言ってくれることはなかった。



    だから、夫の手持ちのお金や

    財形貯蓄はあてにしないことにしました。



    そして結局今も、夫は財形貯蓄を続けています。


    インスタでも話してたんだけど2023年の秋に

    「2024年から新NISAになって

    毎月の積立額が増えるから、

    財形貯蓄分の5万円を新NISAにまわさない?」

    って夫に相談をしたんですよね。

    その時言われた言葉が、

    「それってもうりりなが決めた。
    決定事項なんでしょ?」


    …。


    私は決定事項として言ったんじゃなくて

    話し合いをしたかった。



    夫の意見を聞きたくて、この質問をした。



    だから、

    嫌なら嫌って言って欲しかったんだよね。



    最終的にしぶしぶ夫はわかったって

    言っていたんだけど…

    結局今でも、財形貯蓄毎月5万円を続けている。。



    これが、答えなんだなって思う。

    夫の財形貯蓄問題は根深い。

    どんどんお金が減っていく。自分の「好き」を殺し始めた

    マネーハラスメントを受けていた時も

    いろいろ交渉してはいたものの



    最終的には「仕事がなくなったのは自分の責任」

    って思っていたので、

    それ以上強く言うこともできなかったんだよね…。



    なので、お金を払うことができない私は

    4年前から契約していた

    ドル建ての保険の積み立てをストップ。



    一生営業の仕事を続ける。って

    誓った時に始めた、私のiDeCoも

    満額の23000円から5000円に減額した。



    それでも最悪、お金が無くなったら

    相場状況に関係なく、

    今まで投資してきたつみたてNISAや日本株、

    米国株も売却しないといけなくなる…。



    毎月、夫に入れてもらっている25万円で

    足りない部分は全て自分の貯金を崩して

    支払いをする日々。



    いつ、貯金がなくなるのか?

    いつ、投資分を切り崩し始めるか?




    積み重ねてきたものを

    手放さなければならない時が

    くるかもしれない。というギリギリの状態。




    この頃は、毎日お金に対する恐怖感がありました。


    ・・・


    今まではおしゃれが大好きで、

    洋服もカラフルで可愛い服を着ていたけど

    お金がないから、

    最新のファッションを追いかけることも諦めた。

    ユニクロやGUで黒・白の無難な、

    流行に左右されない服を買うようになった。

    流行に左右されなければ、

    服を新しく買う必要がないから。




    そしてヘアスタイルも、

    自慢のロングヘア&たて巻きパーマをやめて

    バッサリ切って黒髪ショートにした。

    黒髪なら、髪を染める必要がない。

    ショートならヘアケアをしなくていいから。




    「お金をかけなくて済むから…。」



    判断基準が、お金になった。

    こうやって、自分の好きだったことを殺した。



    とにかくお金をかけないように、

    かけないようにということを心がけて、

    毎日心をすり減らしながら生活しました。

    念願の妊娠!だけど、問題は山積み

    いろいろと問題が山積みで

    すごく追い詰められていた時期だったけど

    この後しばらくして、なんと念願の妊娠が実現。



    全てを失ったけど、

    待ち望んでいた赤ちゃんが

    やっと来てくれたという事実。



    嬉しさの反面、

    少しずつ始めていた仕事探しは白紙になり、

    心の中に黒いモヤモヤも…。



    このままの金銭状況で、子どもを育てていけるのか?

    貯金が全くないわけではないけど、
    切り崩す一方の生活になることは間違いない。


    途中でお金が底を尽きないか?

    好きなことをさせてあげられるのか?



    不安な気持ちが正直大きかったです。



    切り崩すのみの生活に対する恐怖は、

    ママさんパパさんは特に

    体験している方が多いんじゃないかな。



    そして築40年の古いアパートに引っ越しをしたので

    家賃は下がったものの、引越し作業の支払いで

    大きなお金が出て行った直後だったので、

    さらに預金は減っている状態。



    古いアパートだったのでエアコンがついていなくて

    夏前にエアコンを2台買う必要もあり、

    大きいお金が飛んで行った。



    (3か所エアコン付けられるけど、
    お金がないので1台は我慢しました)



    とにかく家計管理と節約を

    頑張りまくっていました…。

    頑張るしかできなかったんですよね。



    でも、その時気付いたんです。

    • 妊娠期間中は働けない
    • 出産直後も働ける保証はない
    • ていうか、現実的にいつからなら働ける?何年後?それでずっと今の収入で三人で生活できる?

    色々考えた結果、

    このままだと子供もろとも人生詰むのは

    間違いなさそう。

    じゃあどうするか?

    こんな私でも今からできることはないか?

    というのを真剣に考え始めたのがこの時。



    そして…



    ここで

    「節約だけじゃダメ」ってことに

    ついに、気づきました。




    自分で、何か行動を起こさなければ。

    現状を脱出するために

    節約以外の方法を探さなければ。




    こう思った私が進んでしまったのが、

    危険な「トレードの沼」でした。。


    ここから先話すのは、私が

    「とにかくコツコツ」

    「初心者さんは特に

    短期の強欲なトレードはしないで」

    といつも言うようになった、直接的な理由です。



    安易に、短期投資を始めるとどうなるか。

    しっかり目に焼き付けてください。




    私のような悲劇に巻き込まれる

    主婦を1人でも減らしたいです。

    「楽に稼げそう」の罠。投資を始めた直後の致命的な損失


    外に働きにいけない

    =外で働けないのが確定

    =家の中でできることを始めるしかない。



    って思った私は、

    2018年からやっていたつみたてNISAの延長で

    個別株の短期トレード

    するようになっていました。



    これが結果的に大失敗で…120万円損しました。



    なんでそんなに損失が広がるまで持ってたの?

    って言われてしまうかもしれませんが、

    これは完全に欲に狩られた結果です。



    というのも最初のころは、

    短期トレードで50万円くらい

    勝ててしまったんですよね。



    ビギナーズラックっていうやつです。


    これをきっかけに

    「私もしかしてセンスあるんじゃない?」

    ってのめり込んでしまって。



    しかし当時は

    • 300万以下の貯金が投資の元手だった
    • 日本株1株ずつの取引ができず、100株単位でしか買えない=資金がたくさん必要だった

    こんな時代だったので、

    自分の貯金だけでは到底足りずに、

    会社を退職した時にもらった

    退職金まで入金し始めていました。



    でも「それでも足りない」って

    思っちゃったんですよね。




    今の自分の資金だと、たくさんは買えない。


    買うだけでなく、空売りもしたい。


    上がっている銘柄も、下がっていく銘柄も、
    どっちも利益を取りたい。
    少しも取りこぼしたくない。



    こんな想いが強くなってしまって、

    最終的には証券会社から

    高額なお金を借りて取引をする

    信用取引という手段を選んでしまいました…。


    ・・・


    その後どうなったか、というと。

    • 毎分、毎秒チャートが気になる。
    • 平日アラームをセット。8時45分、11時25分、12時25分、16時45分…。
    • 今のトレンドは何か、出遅れ銘柄は何か。

    常に相場の状況を気にすることに取り憑かれ

    取引をするためにスマホに張り付く毎日。



    でも、トレードは甘い世界ではなくて。



    ビギナーズラックは終わり、

    それでも浅い知識でトレードを

    繰り返していた結果、



    損切りができずに

    どんどん含み損が膨らんでいく状態に

    なってしまって…。



    気づいた時には

    損切りできない銘柄の含み益、

    マイナス120万円。




    のめり込み過ぎて自分の退職金も

    信用取引の資金に突っ込んだ結果、

    マイナス120万円…。



    専業主婦で収入がない、

    貯金も減っていくっていう状態で、

    自業自得とはいえ完全に地獄です。



    ちなみにコロナショックの時期とも

    重なっていたので、



    長期目線で買っていた株や

    積み立てていた投資信託も

    全銘柄マイナスになりました。



    もう生きた心地がしなかったですね。


    ・・・


    しかも当時、マネーフォワードで

    家計の状況を夫と共有していたので、

    みるみる減っていく資産が夫からも

    分かる状態だった…。



    なので毎晩、夫が家に帰ってくると

    「大丈夫なの?今日30万円減ってるけど?」

    「今日は50万円減ってるけど?」

    って声をかけてくる状況。




    その時私は投資について

    本格的に勉強を始めた頃だったので



    コロナショックはウイルスが原因だったから

    いつかワクチンが開発されて

    また市場は元に戻る。って

    思っていたんだけど、



    夫は投資について

    知識があるわけじゃないから、

    何度説明しても理解してもらえなくて。



    毎晩毎晩、

    お金が減っていくことに対して

    詰められる日々が続きました…。




    しかも、妊娠して数か月後の

    つわりがピークでつらいときに

    詰められたので、

    精神的にも余計ダメージをうけましたね…。

    ・・・


    こんな地獄の中で、

    含み損120万円を抱えてた信用取引が

    終わりを告げたのは、

    信用取引を開始してから6ヵ月後のことです。



    なぜ6か月後だったのかというと、

    信用取引は証券会社からお金を借りて

    取引が出来るんだけど、

    借りられる期間が決まってるんです。



    そして、それを超えると

    強制決済・強制返還になります。

    それが6か月後なんですね…。



    この時の私がどうなったか。

    もうわかると思います。



    私自身、自分で損切りをすることができなくて。

    どうしても、損失確定するボタンが押せなくて。



    結局、6ヵ月の返済が来るまで

    売ることができなかったんです。



    時期的にちょうどコロナが収束しそうで、

    コロナアフター銘柄が

    上がりつつあったっていうのもあり…。



    もしかしたら、持ち続けてれば助かるかも。

    っていう希望的観測を捨てきれず、

    コロナアフター銘柄の損切が出来ず、

    結局ずるずる持ち続けてしまったんです。



    そして6か月後の返済当日。

    強制決済の通知が来たときに私が思ったのが、

    「開放された」っていう感情。

    損切りされた日の履歴

    現金貯金300万足らずでのこの状況。
    やばいですよね?

    でも、損失に対する悲しさよりも、

    含み損を半年も持ち続けるという

    この状況からやっと脱出することができた。

    っていう開放感が本当にすごかったです。


    この時に、

    「私はこの先絶対に何があっても、
    信用取引はやらない。」

    「自分のお金で堅実に
    コツコツ運用していこう。」

    って強く思いました。



    これはマイナス120万円っていう痛みを

    味わったからこそ

    今でもずっと守っているルールだし、

    これからも絶対に守り続けるルール。



    …これが私が「とにかくコツコツ」

    「短期の強欲なトレードはしない」

    っていうようになった理由です。



    だから今これを読んでくれているみんなも、

    ここで話した私の失敗体験を

    しっかりと目に焼き付けておいてください。



    一歩間違えたら破産。



    お腹に子どもがいるのに、

    一家離散になっていても

    全くおかしくないことをやっていました。



    「主婦が自宅で、
    パソコンでちょこちょこっとやるだけで
    稼げるの?投資って最強じゃない!?」


    って、

    なんとなく楽な方へ楽な方へ

    行ってしまった結果がこれです。



    やっぱり、

    そんなうまい魔法みたいな方法は

    ありませんでした。



    ちなみにこの

    120万円損切りっていう出来事は

    ちょこちょこ発信していましたが、

    夫には直接言ってません。



    墓場まで持っていく予定です😂

    人生の転機。インスタ発信をたくさんの人たちに見てもらえたのが救いになった

    ここまで、

    「大殺界」っていう文字の通り

    人生の転落期にいた私。

    • 収入が途絶えて驚くほどお金が減っていくのに、持病があって妊娠できない。絶望に陥った不妊治療
    • 信じていた人からの裏切り。歯車が狂ってしまった、会社の人間関係
    • 信用取引、短期トレードに沼って爆損

    悪いことが数年間の間に一気に来て

    「ドラマか!?」って思ってしまうくらいの

    展開でしたが、



    そんな中でも1つだけ救いになった出来事

    がありました。



    インスタグラムのフォロワーさんが少しずつ増え

    たくさんの方に投稿を見てもらえるように

    なり始めた
    ということです。



    実は2018年から

    ポツポツ不妊治療の投稿をしていた

    インスタグラムのアカウントの投稿内容を変えて、



    家計管理と投資の情報発信の場にしてみたら

    同じように家計管理や投資の情報を探している

    主婦の方から

    たくさんの反響をもらえるようになったんです。



    当時、主婦がお金系の発信をしている

    インスタのアカウントは結構少なくて。



    ましてや、つみたてNISAをやってる

    主婦のリアルな情報なんて、

    ないに等しかったんですよね。



    つみたてNISAの制度内容など

    投稿している人はいても、



    実際にどんな銘柄に投資をしているか?

    っていうのを公開している人は

    一人もいませんでした。



    いちユーザーとして知りたかったのは、

    その人がなんの銘柄に投資をしているか?

    って部分なのに…みんな、それを隠してた。



    きっと銘柄を公開してしまうと、

    その情報を元に投資をしたフォロワーさんが

    損した場合、



    クレームのDMが来てしまうから

    みんな言わないようにしてるのかなって

    なんとなく察してはいました。



    だけど私は、

    自分が「知りたい」って思う情報を

    ありのままに出していくことで

    誰かの参考になったり、

    勇気を与えられるかな
    って思って。



    投資初心者で

    金融業界で働いたこともないけど、

    「普通の主婦の資産運用」として、

    投資してる銘柄を包み隠さず

    ありのまま公開をしていくことにしました。



    …今だから言うけど、

    自分の投資状況を公開していく中で

    厳しいコメントやDMをもらったこともあります。



    でも、それ以上に

    • りりなさんのおかげで投資を始めることができた!
    • りりなさんに出会っていなければ、今の自分はないです。

    っていう、

    足の先から震えるくらい嬉しい言葉を

    たくさんのフォロワーさんからいただいて。



    それが、私のパワーになりました。




    私の発信する情報を見てくれる人が

    インスタにたくさんいる。



    この出来事が、

    当時の私の心の支えになっていました。

    大殺界の終了。少しずつ人生が良い方へ

    私の大殺界の期間が終わる頃。

    • 息子が誕生
    • 自分の発信をたくさんの人に見てもらえるようになった
    • コロナショックが終わり、資産が増え始めた

    周囲の環境が、

    少しずつ良い方向へ動き出してくれました。

    そして今、、、

    私は資産運用をする主婦として、

    たくさんのりりなーさんと共に日々を歩んでいます。
    (りりなと資産運用を頑張る仲間を「りりなー」と呼んでいます♡)



    人生って、ずっと良い時ばかりではなくて。



    なんなら私の場合

    「こんなに悪いこと一気に重なる!?」ってくらい、

    重なってきたと思ってます(笑)




    でもこの転落期から這い上がれたのは、

    諦めなかったからだと思っています。



    絶対に諦めない。

    自分、家族、子どものために。

    コツコツコツコツやるだけ。



    魔法も裏技も何もない。ひたすらやる。継続する。



    この信念が私を救ってくれたと思っています。


    ほんの数年前まで、

    りりなはこんな地獄の中にいました。



    すごくすごく辛くて、重くて、暗い時期でした。



    でも、
    この体験があったからこそ、

    今のりりながいます。



    りりなに関わってくれる、応援してくれる、

    情報発信を見てくれている方へ。

    りりなは復活することができました。



    本当に感謝の気持ちを伝えたいです。

    ありがとうございます。

    人生いろいろあるけど…「自分の軸」を探して、それを大切にしてほしい

    もちろん、人生って一人一人違うものだし

    私よりももっと大変な思いをしてきた人、

    今辛い思いをしている人も

    たくさんいると思います。



    資産運用にしても家計管理にしても、

    色々あるけど…

    今、辛い人に伝えいたいこと。



    それは

    とにかく自分が「これだ!」って思える軸、

    指標になるようなものを見つけてください。




    私は人生のドン底時代に

    今回話したたくさんのピンチがあったけど、

    腐らずに、「諦めない」「コツコツ継続する」

    っていう軸を貫き通した結果

    ここまで資産を増やすことができました。

    主婦投資家としての私の目標は、


    1つ目が
    「家族と豊かな暮らしを実現すること」。

    2つ目が
    「現実的な豊かさをみんなに伝えていくこと」。

    そして、3つ目が
    「お金を使い切って死ぬこと」です。



    1つ目の目標が実現でき始めている今、

    これからは私の発信を見てくれている

    りりなーの皆にも、



    私が持っている情報を出し惜しみせずに

    最大限に還元していきたい!



    そして、その情報をフル活用して

    りりなーの皆が「家族と豊かな暮らし」を

    実現してほしい。って思っています。

    繰り返しになりますが、

    成功するための魔法や裏技なんて

    何もありません。



    お金の情報を吸収しながら、行動に移す。


    自分の軸を探す。


    家族のためにコツコツ頑張る。



    これを読んでくれている人の中にも、

    今まさに辛い状況の人がいるかもしれない。



    でも、諦めなければ

    地獄の中から這い上がってこれる。



    実際それを私も経験して、

    その経験があったからこそ今のりりなと、

    りりなのビジョンがあります。


    ・・・


    さらば節約だけの人生。』

    『私とお金の共働きで生活が豊かになる。』

    『家族・子どもとの時間も大切にして
    心も豊かになる。』



    『みんなで幸せな人生を作っていきたい。』




    このビジョンは、ここまで話した

    これまでのりりなの経験のもと、



    『私みたいに辛い思いをする人を
    1人でも減らしたい』




    っていう想いから成り立っています。

    だから、

    りりなのことを信じてついてきてください。


    ・・・


    私自身も、

    まだまだ知らないことのほうが多いです。



    お金や資産運用の知識をつけて

    実践をしてきましたが…



    世界は広い!



    私が、いつも

    節目節目のインスタ投稿に書いてる

    好きな言葉。



    「辿り着て未だ山麓」



    この言葉は、私が小学校6年生の時

    担任の先生から授かった言葉で、

    34歳になった今でも

    大切にしている言葉です。



    「辿り着て未だ山麓」



    担任の先生から、

    こう教えてもらいました。

    今後、あなたたちは

    いろいろな人生を歩んでいく。

    その中で自分が頂上にきた。と思う時が

    いつかくるかもしれない。



    でも、それは頂上じゃなくて、

    実は5合目、6合目かもしれないよ。

    満足せずに、精進しない。



    こんなニュアンスで話をしていたと思う。
    (小学6年生の記憶ですが…)



    この言葉を心に宿し、私は34歳になった今も

    山を少しづつだけど、登り続けています。



    時には、崖にぶちあたり

    時には、谷底に落ち。



    それでも、わずかな力をしぼって、

    何度も何度も這い上がってきた。

    そして、これらの人生でも
    様々な困難にぶち当たると思う。


    だけれど、腐らずに困難に立ち向かって

    前に進んでいきます。

    過去の自分がそうしたように…。



    この、たった一度の人生で

    私が学び、実践してきていることを

    りりなというフィルターを通して、



    引き続きりりなーのみんなに

    伝えていきます。



    みんなで幸せな人生を

    作っていけたらいいなって思っています。



    ここまで読んでくれたりりなーさん。

    ありがとう!だいすきっ!



    ・・・



    りりなより。愛をこめて…
    2024年10月1日 吉日

    次に読んでもらいたい話はこちら

    りりなの幼少期から現在まで。

    今のりりなを作った、「過去のりりな」は一体どんな人生を辿ってきたのか?という点を知って欲しくて書きました。


    まだ①を読んでいない方はこちら

    オフ会で出会ったりりなーさんとのご縁をきっかけに思い出した、「息子に投資家マインドを引き継ぎたい」という想いの根底になっているお話です。

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    もくじ